本音はシンプルなたった一言なのに
出てくる言葉は曖昧で、不純物ばかりがくっついて
まるで相手に伝わらない。
そんなことは日常茶飯事だ。
これを言って、「好きな人に好意伝えたいのに、
なかなかストレートに伝えられない、もどかしい場面」
なんかを想像した人は、きっとメンタルが健全で
まっすぐ本音で生きようと努力している
勇気ある人なんだと思う。
でも、私がいま思い浮かべている場面は全然ちがう。
まったくもって、メンタル健全とは程遠いおじさんに怒鳴られた。
仕事で、こちらが設定した締切に対して、電話口で開口一番
「冗談でしょ?」と嘲笑されるところからはじまり、
昨年度と同じ作業かつ、同じ期間で締切を設定したことをかろうじて伝えると
「去年は運が良かっただけ!」と一蹴され、
挙句の果てにヒートアップした彼は「ふざけてる」と怒鳴る始末。
そもそも例年通りのルーティンワークなわけで
ものすごく急を要するような案件ではないことくらい相手も
わかっているはず。ならば「もう少し締切を伸ばしてくれないか」と
相談してくれればすむことだ。しかも私は入社1年目の社員で、
あなたのほうは少なくとも昨年も、このルーティンワークを経験したはず。
ならば「この作業はこの期間では終わらないよ」と普通に教えてくれたら
いいではないか。
なのになぜ「もうおまえには我慢ならない」というような口ぶりで
責められなくてはならないのか。
言いたいことは山ほどある。けれど要するに、この人は
「締切をもう少し遅らせてほしい」
というたった一言ですむシンプルなお願いを
相手へのリスペクトのかけらもない、感情に身を任せた
不純物と同時に吐き散らさなければ相手に伝えられないのだ。
ああ、かわいそう。そういう自分を恥じることなくここまで年を重ねて
しまったなんて。
そもそも、他人を攻撃することに貴重なエネルギーも時間も
使ってばかりだから、期限内に終わらせられないんじゃないですか?
殺意を持って、この反論は胸の内にしまっておこう。
「無視」ではなく、こういう場合は「黙殺」だと自分をなだめる。
私はこうはならないのだと、教訓に変えて、自分の人生を生きるしかないのだ。