私の直属の上司は、カラッと快活な女性で、
理不尽な相手に対しても、湿った愚痴を言うことは無く、
最後には、誰も傷つけない言い方で笑い飛ばす。
かといって、周囲で湿っぽくなっている人に対しては
共感の意を示してくれる。
バランスが取れていて、いつでも肝の据わったその姿に
私は無意識に、「かっこいい大人」像を押し付けて見ていた。
提出した資料に不備があったと、上司が責められていた。
確かに、こちらに落ち度はあった。
けれど、相手の有無を言わさず淡々と追及するその言い方は
とても不快だった。
嵐が去った後、彼女は涙目になっていた。
ハッとした。どれだけ立派に見える人も、強く見える人も
強い口調で責められたら、辛いし怖いものなのだ。
責められているその瞬間は、ひどくこたえるのだ。
学んだことはふたつ。
「相手に非があっても、相手の感情に配慮して伝えること」
攻撃的な態度をとると、相手が受け入れ態勢をしけない。
結果仕事は進まない。感情論以前に非合理的なのだ。
そして、「攻撃的な相手には、あえて共感すること」
今回の件でいえば、「相手のミスを指摘する方も
つらいよなー」という感じ。
怒りや自責の念で不用意に自滅しないためだ。自分を責めないためだ。
つまり、攻撃されたのは相手の問題である、と冷静に認識するためだ。
当事者ではないからこそ、私は学びとして昇華できたが、
彼女はどうだろう。どうか、ささやかないいことがありますように。