能ある鷹は爪を隠すというが、実際には「見せる必要がない」のかもしれない。
本当に「能ある」人間は、「仕事ができる人になりたい」と思ったら、自分自身の行動を変化させていくだろう。
しかし、「仕事ができる人になりたい」のではなく、「手っ取り早く仕事ができる人に見られたい」だけのちょっとだらしない凡人(私含む)は、言葉や外見ばかりを変化させがちだ。
私は、職場にいる「しごデキたち」の服装が結構ラフだったり、「この人といえば」というような、定番アイテムをいつも身に着けていることに憧れて、ちょっと派手な色の服を買ってみたり、露出を多めにしてみたり、一時期は効率性重視でワンピースをやたらと着てみたりして、目立とうと試みたことがある。(なんという「小者」のあがき!!)
しかし気づいたのだ。
本当に仕事ができる人間というのは、その人がその人であるだけで、仕事ができる。
考えてみれば当たり前のことだ。
彼らは習慣として身についた日々の「行動」によって評価されている。
わざわざ言葉や外見に頼って、「私ってデキる人間なのよ」と主張しなくても滲み出てしまうもの。
それが真の「しごデキ」である!
実際「仕事ができる」で有名な私の元上司は、髪色をピンクに染めたりして目立っていたが、そんなことより私は、彼女のいつでも機嫌よく柔和な態度や、ミスを報告しても親身になって対応を考えてくれるところ、他部署の明らかな怠慢で迷惑を被っても非難しないところなど、人としての器の大きさを尊敬していた。
というかそもそも「仕事ができる」という他人の評価には、人によって様々な基準が用いられており、人前で堂々と話すことができる能力を評価する人もいれば、段取りのきめ細やかさや、資料のわかりやすさなどを評価する人もいる。
その中で最近になって、「仕事ができる人」の共通項がわかってきたような気がする。
それは、日々の行動に自分の思考がきちんと乗っていることだ。
この仕事は何のためにやる必要があるのか?手段は適切か?相手にどこまで説明すべきか?
そうやっていつも思考しているから、判断が必要な場面でも選択が速く、他人からの指摘にも堂々と対応できる。ミスがあっても、ミスに至った原因が明確で、改善もスムーズに行うことができる。
まあ、仕事ができる人がどこまで、どうやって考えているのかなんてすべて私の想像に過ぎないのだが。
少なくとも私の日常を振り返ると、日々考えていることといえば、今日のランチに何を食べるかくらいのものだ。その点は結構考える。
その熱量で仕事と向き合えたら、もうちょっと仕事ができるようになるんだろうか。