家族との時間は、職場の価値観に知らず知らずのうちに染まってしまう心と思考を解きほぐしてくれる。
そうやって改めて感じた体験を、今日は書く。
私の家族は5人だが、それぞれが大学や仕事の都合で違う屋根の下に住んでおり、なかなか3人以上集まる機会というのは少ない。
ひょんなことから、忙しくてめったに実家に帰ってこない姉が、2日間だけ実家に戻るというので、私も同じ日に実家へ戻った。
夜、わざと遠回りをしながら姉と帰って、「今現在人生で行き詰っていること」について話した。
翌日は土曜日で、朝なのか昼なのかわからない時間に、バスで20分ほどのドーナツ屋にわざわざ歩いて行く。
その間も私たちは喋る喋る。好きなアイドルの話が止まらない。帰ってからもドーナツを片手に、お気に入りの動画を薦めあう。母はあきれ顔だ。
そして何をするにも、誰かに話しかける。「お風呂入るね」「ちょっとトイレ」「お腹空いたから今からチョコ食べまーす」「買い物行ってきまーす」「もう寝るおやすみー」。
ひとりで暮らしているときには必要のない「今からこれします宣言」に心から癒されて安心する。
ふと気がついた。つい昨日まで頭の中を占拠していた、仕事上の「トップニュース」が、驚くほどどうでもよくなっていることに。
その「トップニュース」は、組織の大幅な再編に関わるものだった。職場全体がざわつき、反対意見を口にする人たちの声が飛び交う。
中でも、強い言葉を使い、議論の最前線に立つ人ほど、「組織のことを真剣に考えている」とみなされる空気があった。
そんな雰囲気にすっかり流されて、「まあいいんじゃない」と軽く考えることが許されないような気がして、気が付くと私は、反対するための理屈を頭の中で必死に練っていた。
けれど、家族と過ごすかけがえのない時間の中で、思うのだ。「やっぱりこれは、私にとって、どうでもいいことだった」と。
私にとって仕事は、単にお金を得るための手段と割り切れるものではなくて、やりがいも人間関係もそれなりに大事だ。
けれど、それ以上に、私が仕事をする理由は明確だ。
それは、年に数回しかない、大切な家族との時間を守るため。
収入を得て、きちんと貯蓄をし、生活の不安を最小限にすること。その「安心」という土台があれば、大切な人たちとの時間に集中できる。
健康な身体と、ほんの少しの余裕があれば、家族とささやかな贅沢を楽しむこともできる。
このために私は働いているのだ。職場の同調圧力に合わせる必要はない。
私は私の価値観で、働こう。