自分至上最大の後悔、というほどでもないが後悔していることがある。
それは、大学のときのサークル選びだ。
新入生の私は、登山サークルに入るかスキーサークルに入るかで迷っていた。
(ちなみに、どちらも山に関連するがまったく山好きというわけではない)
結局登山サークルは諦めてスキーサークルに入ることを選んだのだが、
社会人3年目の今になってなお「あの時登山サークルを選んでいれば」と思うことがある。
スキーサークルに入ってよかったと思う経験が無いわけではないし、
むしろ、サークルの人たちは皆、羽目を外さず良心的で、親切な人ばかりだった。
それでも後悔してしまう最大の原因は、私の選択の仕方にある。
登山サークルを選ばなかったのは、ものすごくはっきり言ってしまえば、”陰キャ”に見られたくなかったからだ。
登山サークルはかなりの少人数で、交友関係が広がりにくそうだったし、メンバーもあか抜けない印象を受けた。
対してスキーサークルは結構大所帯で、メンバーもそれなりに「大学生らしい」お洒落な印象を受けた。
私はその時キラキラ大学生に憧れていた、というより、大学生はキラキラした生活を送っていなければ恥ずかしい、というような強迫観念を持っていたと思う。
しかし「キラキラ」のために何かを具体的に努力する気もなかったし、そもそも「キラキラ」かどうかを所属団体に求めようという考えが浅はかだ。
それで自分の中で「無難」な選択をしたのだった。
結局、それなりに交友関係は広がったが、深い関係は築けなかった。
何もかも後悔しているわけではないけれど、登山サークルに入っていれば、沢山の友達はできなくても、背伸びせずとも付き合える、とても仲のいい親友や先輩ができたのではないかと思う。
そんな風に思うのは、初恋がものすごく美化されるのと同じ現象なのかもしれないけど。
欲望は、ちゃんと見極めなくてはいけないと思う。
他人の評価を気にしすぎると、本当に自分が欲するものが見えなくなってしまうことがある。
私が欲しかったのは結局のところ「人との繋がり」で、それも表面上ではない繋がりだった。
そのために必要だったのは、真剣に自分が自分らしくいられるコミュニティを選ぶことだった。
後悔しても大学時代に戻ることは二度とないが、この経験は人間関係を築く際の貴重な教訓にはなっている。
相手と1対1でいるときに、心地よいなあと感じる相手と付き合うこと。
自分を大きく見せるためにコミュニティに所属したり、人付き合いをしないこと。
職場でもなんとなく「イケてる人」やコミュニティというのはあって、対して「あの人はちょっと」見たいな言われ方をする人もいる。
大人になっても相変わらずそういったものはあるけれど、そこに左右されるかどうかは自分の選択次第だから、なるべく自分が1対1で話してみて感じたものを信じるようにしている。
職場という狭い世界で最大多数に評価されることより、自分の価値観と心を許せる少数との人間関係を大切にしたい。
弱い私はこれをいちいち肝に銘じていないと忘れてしまうから、「大学生活4年間をフイにしたかもしれない」という重ためな後悔を背負うくらいでちょうどいいのかも、などと思ったりもしている。